考えすぎるからとことん考える日々

考えすぎることがコンプレックスな人間が開き直った結果。世の中の色んなことについて考えすぎようと思います。

なんだ、ただの銃撃か。

お久しぶりです。みどりちゃこです。

 

 

 

音声の発信にどハマりしております。

 

 

 

そんなやつがなぜ!この期に及んで!活字を!発信する気になったのか!それは!!

 

 

 

音声、1発録り以外の選択肢無い説。

 

 

 

こちら実証されましたね、奇しくもワタシによってですけども。

 

 

 

60秒のピトパはまだ良いんですよ、12分のRadiotalkはそうもいきませぬ。

 

 

 

だからね、ちゃんと考えて発信しないとなあと思う事柄につきましては、はてなブログをつかって発信したいと思いますね。

 

 

 

 

さあ本題。

 

 

 

最近よく目にする言葉で、

 

 

「日本の年間自殺者数は海外の紛争地帯で1年間に亡くなる方の数より圧倒的に多い」

 

 

というものがある。

 

 

 

 

 

ということは?

 

 

日本では全国的に満遍なく、毎秒銃撃や爆撃が行われている!!!

 

 

 

 

…どこか過言があるか?

 

 

 

学校には、理不尽な校則、理不尽な先生、ハードすぎるスケジュール、いじめっ子、スクールカースト、などなど。

 

 

 

 

 

職場には、理不尽な上司、怒鳴る上司、セクハラ、めんどくさい取引先、無理なスケジュール、出来の良い同僚、優秀で気の強い部下、などなど。

 

 

 

 

 

街に出れば、突然蹴ってくる人、レイプ犯、怒鳴る人、マナーを大きく逸脱した客、1人で出歩く女性のみにぶつかる人、などなど。

 

 

家にいれば、子育てを放棄する母親、無責任な夫、反抗期の子供、日々理不尽な姑、寄ってたかって無視する家族、孤独な子育て、引きこもりの大人、などなど。

 

 

 

SNSを見れば、炎上、炎上、炎上。

 

 

 

 

身体だけでなく心も危険に晒されているわけだ。

 

 

 

日本は治安が良い。そう、海外の人にはよく言われている。

 

 

 

しかし、それは目に見える所に限る。

 

 

 

目に見えない所、つまり人の心を殺そうと目論む人は日本が世界一多い。そう思う。そしてそういう人の大半は、心を殺そうという気はない。

 

 

 

 

だから、例えば学校でいじめに遭ったとする。

 

 

 

 

それは銃撃だ。貴方の心を殺そうと、寄ってたかって銃撃しているのだ。

 

 

 

 

例えば職場で上司にいびられたとする。

 

 

 

 

それは銃撃だ。貴方の心を今まさに殺している最中なのだ。

 

 

 

 

例えばSNSで身に覚えの無い中傷を受け、個人情報を晒されたとする。

 

 

 

 

それは銃撃だ。しかも散弾銃によるものだ。貴方の心は原型をとどめないくらい木っ端微塵にされている。そしてそれは、貴方が必死に戻しても、その破片にさえ散弾銃が打ち込まれている。罠だ。

 

 

 

 

 

 

時に銃撃は自分からも受けるから厄介だ。

 

 

 

 

 

自分で自分の心を銃撃していることはないか?

 

 

 

 

 

「みんな自分のせいだ、自分が悪かったんだ」

 

 

 

 

 

 

そんなことを考えている今この瞬間も、貴方は自分の心に銃撃をし続けている。

 

 

 

 

私も今まで、自分の心に銃撃をし続けた。

 

 

 

だから、私は心が苦しくなったとき、全てを「銃撃」に分類することにした。それで、とても楽になった。

 

 

 

 

 

だが。それは解決ではない。それで心が落ち着く人はあまりいないはずだ。

 

 

 

 

 

 

それでは解決法は何だ?どうすれば、日々行われ続ける銃撃に対応できる?

 

 

 

 

 

 

心の防弾チョッキはどこにある?

 

 

 

 

 

 

…なんか某アイドルグループの歌詞みたいになってきたな。

 

 

 

 

 

…そんなものはない。確実なものは無い。私はそう思う。

 

 

 

 

 

 

そして、人による。

 

 

 

 

「そんな状況にいながらよく自殺を考えなかったなあ」と思うくらい、心が強い方もいらっしゃる。

 

 

 

 

 

それは、自分自身が持つ強さだったのかもしれないし、周りの人の愛や信頼だったのかもしれない。

 

 

 

ちなみに私は1人で悶々と考えることで解決する。他人には相談しない。

 

 

 

 

どういう方法であれ、銃撃に対処できないことはない。絶対に無い。

 

 

 

 

 

死ぬな、という気は無い。だけど、生きていても良いとは思う。

 

 

 

 

 

 

あの時死ななくて良かった、と思う時がほんの少しだけ、あるかもしれない。

 

 

 

 

 

それは、いつか分からない。

 

 

 

 

 

だけど、それを見つけるまで、もう少しだけ、生きるのも良いかもしれない。

 

 

 

 

 

だから、銃撃を受けたとして、やり過ごしてみるのはどうだろうか。

 

 

 

 

 

 

「なんだ、ただの銃撃か。」と。

 

 

…なんでいつもこの手の記事は説教臭くなるんだ?読んでてイラつくぞ?