ネットで本領発揮する方々。
「炎上」という言葉がよく使われるようになってからもう何年経つだろうか。
それでもせいぜい4.5年だろうか。
炎上という現象は、人間として至極真っ当なもののように思う。
誰でも、いつでもどこでも世界に自分の考えを発信できるツールを持った。それを使う中で、自分の発言がどれほど重いものなのか想像できないなんて当たり前だと思う。だってそんな世界今まで一部の人しか見られなかったのだから。
その一部の人だって、発信できる場にたどり着くまでさまざまな困難を乗り越え、責任を痛感する過程を経ている。だから、自分の発言がどう影響するか、どういう表現がどういう風に人の心に届くのか、知り尽くしている。要は発信のプロなのだ。
そんな人達に、いきなりツールだけ渡されたど素人が発言に慎重になれるわけがない。受話器を渡された原始人のようなものだ。(なかなか下手くそな例えだ)
そこで、芸能人の不祥事や凶悪な殺人事件、政治家の汚職問題など、自分が感想を持つ出来ごとが起こる。その感想は、発信できる。それなら、発信する。考える暇は無い。それどころか悪に立ち向かう自分は正しい、そう思うだろう。
あわよくば、自分の意見が世間では素晴らしいものだったりして、注目されるかもしれない。自分の意見が賞賛されるかもしれない。「いいね!」という形で。
そうそう、大事なことを忘れていたが、SNSは匿名だ。自分は隠れ蓑に隠れていながら、他人を攻撃でき、その他人が自分の意見、および自分と同じような意見によって傷ついていく。社会的な名誉、信頼を失う。不幸になる。
素晴らしいではないか。他人の不幸は蜜の味、を地で行く生き方ができる、完璧なツールではないか。SNS。
自分が攻撃した人が実は無罪だった?そんなの関係ない。シカトすれば良い。実は全てデマだった?そんなの関係ない。もう自分は次の攻撃対象を見つけ、みんなと集中砲火を浴びせているのだ。黙っていろ。ネットの記事は全て間違いで、本当の話は全く違った?そんなの関係ない。自分はこの記事を読んで発信した意見で、今までで1番多い「いいね!」をもらったのだ。
そもそも、ネットの匿名性は必要なものだ。これによって今までで色んな境遇の人たちが救われてきた。私もこうやって名前も顔も世に出さずに発信しているが、誰に届いていなくてもスッキリする。救われているのだ。
ところで、ネットを炎上させている人々の精神状態というのはどういうものだろうか。批判コメントをスマホやパソコンで打ち込んでいる間、どういう気分なのだろう。自分が神のように思えてくるのだろうか。
決してそれをバカにしようと思うのではない。もちろんその言葉一つ一つで傷つき、心を壊される人が必ずいることは間違いない。そしてそれが正当化されて良い理由は一つもない。
だが、批判コメントを発信している人々というのは、現実社会で何らかの傷を心に負っているのではないかといつも思う。そして、その傷が見過ごされ、「自業自得だ」の一言で済まされて良い理由は一つもない、とも思う。
自分の中に一本筋が通っていて、ある出来事について発信した意見がたまたま世論と一致していたのなら心の傷、などとは思わない。だが、炎上に加担する人々は大抵自分の意見を持っているわけではなく、世間の動向に流されるだけだと思う。
それが良い悪いではなく、そうしてしか生きられないというのは、精神的に孤独ということだといつも感じる。
炎上や個人情報の特定に精を出す人というのは、精神的に孤独で暇な人が100%だというのは持論であるが、私はこの持論を覆す人に出会ったことはない。
そして、精神的に孤独で暇、が加速するにつれて犯罪に手を染める人になると思う。「なんでそんな酷いことが思いつき、実行できるんだ?」と誰もが思うような犯罪を犯す人というのは、精神的に孤独な人、というのが印象深い。
ネットが精神的な孤独を加速させる道具になっている気もする。それに、今は「こうなっておけば一生安泰」というビジョンもなく、「一人一人個性出してがんばってー」という時代だから、将来への不安を持つ人が非常に増えていると思う。これが余計に孤独感を増しているのではないか。
もはや良い悪いを論じている暇は無いと思うんだ。
もう、みんな疲れたよね。私も疲れた。生きるの疲れた。誰も友達じゃないし、恋人もいないし、心開く人もいないし、ネットで自分を出すだけじゃ虚しいし。でも自殺することもなんか怖くて出来ないしね。みんなして気づいたら出口のない生き地獄彷徨ってるね。うけるー。
私この生き地獄あと80年くらい彷徨わないといけないや。あーあ、疲れるなあ。突然の病気で40才位で死なないかなあ。あーあ、こんなこと言ったら罰当たりだって炎上しちゃうね。あーあ、ははっ。話が随分逸れたなあ、まあいっか。
明日が来るのか、嫌だなあ。